共有情報と個人所有情報を区別して批判批判を理解するこころみ

批判批判を理解するために個人的に作ってるものを、懲りずに大雑把に書いてみる*1
「大雑把とか言わずに分かりやすく丁寧に簡潔に書け、やればできて当たり前だろ」とか言われても、書けません。2009年末に下書きを書いたら、新書本一冊の分量になって、収拾つかなくなったのだ。
例によって、文章の都合で断定口調で書くけれど、中身は信用できるだけの証拠ないです。
私がひとを非難してる側面は否定できないけれど、「ひとを非難するなら確実な証拠を出せ」と私を批判するんなら、それでいいです。
当然、Narr一人が勝手に書いてるだけなので。ニセ科学批判者の人たちの意見は、私は知りません。

*1:特には、テレビゲームや小説などの創作分野での批判批判。ここではニセ科学批判をネタにする。

単純な図

*1

左図が批判批判者で、右図は批判者。大きな社会の人間関係のなかで、情報をどのように扱うか、を図示してる。*2

赤も緑も、情報の集まりです。赤い領域と緑の領域とで、性質が違ってる。赤い領域は個人の主観情報を示してる。緑は客観情報。
赤いところには必ず、その情報を所有してる人がいる*3。客観情報は、中身に人がいてもいなくてもいい。

左の図では、「科学」は赤い領域のうち、一つだけ。赤い科学は、「科学の方法を使って自然界を認識している人たちの主観事実*4」の意味。
右の図では、「科学」は緑色の領域すべて。狭い意味では、赤い領域を含まない緑色だけの大きいのをさす。緑色の科学は「事実と見なす情報の集まり」の意味。

右図の上にある大きな緑色の「科学」は、すべての人の間で共有された情報。立派な図書館みたいなもの。
左図の赤い領域はそれぞれがバラバラで、共有されてない。赤い「科学」は、他の赤の領域とは無関係に存在してる。

「科学は特定個人の意思がどうあれ、いついかなるときも他者と共有せざるをえない」と見なしてるのが批判者。「科学は個人個人が自由に使ったり、使わなかったりできる」「科学は自分以外の他人の意見の一種である」「科学は学校と本屋で売られている」と見なしてるのが批判批判者。

右の批判者の図では、「確認された科学的事実」は大きな緑色の一部になって、一般市民全員で使ってる。しかし左側の批判批判者の図では、「確認された科学的事実」は「科学者」の中だけで使われる。

*1:私ひとりで勝手に作って、「CP属性モデル」と名付けてる。

*2:話を簡単にするために、極端に単純な例だけ描いてる。現実はもっと複雑で面倒くさいはず。

*3:主観事実だから。

*4:こういう肝心なところで用語の詳細説明もせず済ませる態度が「大雑把」なのだ。

批判批判者を示した図の特色

主観事実の社会的等価値原則

すべての情報は主観事実の一種である。これら主観事実は、社会のなかで等しい価値があるものとして扱われる……という原則。「科学的に正しい事実」も、主観事実の一つ。「みんなの主観は平等です」とも言い換えが可。図でいえば、たくさんある赤いマルは、それぞれが全て社会の中で存在価値を認められる、という意味*1
実際に個別の批判批判者がこの原則を守ってるのではなく、批判批判者の主張を理解するとき、主観事実の社会的等価値原則を意識すると理解しやすくなるよ、というもの*2
「社会的」とつくのは、赤い「科学」の領域の内側では、個別の各種科学について、価値の優劣を決めることができるから。科学者の仲間内でなら優劣をつけられるが、仲間内から外に出たら優劣なんて無いぞ、ということ*3

主観と客観の情報を変換する

批判批判者は客観事実の情報でも、主観事実として扱ってしまう。意識せずに。
批判批判者は赤い色の色眼鏡を通して世の中を見ていて、何でも赤く見えちゃってる*4

ルール作成能力の欠如

他人との合意を、具体的な内容で作れない*5
そもそも、他人と意見を一致させようとする意思がない。
「事実と見なす情報」についても例外でなく、他人の事実認識と自分の事実認識とを一致させる必要を感じていない

*1:批判批判をやらかす人が主張する「社会では価値観が尊重されるべきだ」は、これと同じもの。

*2:批判批判者は建前上は平等を言ってても、自分の主観を客観事実と同等扱いし、他人の主観は見下すので。

*3:逆にいうと、ホメオパシーを「西洋の医学と科学の一種」と見なしてる批判批判者なら、科学によるホメ批判を妥当と見なしたりするはず。

*4:批判者の図の緑色を赤く塗りなおせば、批判批判者の図と同じになる。

*5:「態度の良し悪し」でなら他人と合意できる。「理解できないからって他人にとって大事なものを否定する人は態度が悪い」など。でも「みんなにとって大事なものは何か」の合意は作れない。

批判者と批判批判者の図の共通の特色

両者とも自分が普通だと思っている

批判者は、批判批判者を含めた他人も自分と同じように、緑色と赤色の図をベースにしてると思ってる。
同様に、批判批判者も、批判者を含めた他人が自分と同じように、赤い図をベースにしてると見なしてる。
中学校の社会科教科書に書かれてるような、国民の権利、たとえば言論の自由や思想の自由は、自分らの主張に矛盾してない、と思ってる。批判批判者も、批判者も。

批判批判者とのすれちがい

ニセ科学批判まとめの「そんなやり方じゃダメだよ…"批判の仕方"批判」。

「批判はすべきだが、連中のやりかたはおかしい。自分ならもっとうまくやれると思うが、やる気はない」
…さようでございますか。

「『信奉者を説得するつもりはない』なんて冷たいんじゃないの?」
信奉者の説得を試みることを否定しているわけではない.説得できるならば,もちろんそのほうが良いだろう.しかし残念なことに,どんなに言葉を尽しても説得が通じない相手は少なからず存在する.「信奉者を説得するつもりはない」という言葉は,説得を試みた経験から出ているのだ.
説得されることを拒む相手を説得するには大変な根気が必要で,しかも成功する可能性は低い.そういう相手と1人ずつ向き合うには,あまりにもリソースが足りない.というわけで,現在ニセ科学を批判している人にさらに「信奉者の説得」を負わせようとしないで,是非とも心優しいあなたが説得してみてください.

http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/13.html#id_346a758f

Narrは数年前に、水伝批判を批判する人とメールでやりとりしたことがある。そのとき、引用と似た会話をした。要点だけ再現してみる。

批判批判のひと*1
菊池誠氏やあなたたちは、科学以外の視点が欠けていて、視野が狭い。あなたがたは水伝の意図を理解していない。批判のやり方も悪い。
Narr
批判のやり方が悪いというなら、あなたがやってみてくださいよ。
批判批判のひと
これは面妖な。わたしは水伝を批判するつもりはありません。

上記の会話を、赤緑の図で説明してみる。

*1:ちなみに、この批判批判のひとは、こっちのエントリで使った「科学者の科学理論に、誰もが従わなければならないのですか?」の発言者だ。

「あなたが批判してください」と返答するのは理解が足りないから

私自身が「あなたがやってみてくださいよ」と返答してしまったのは、批判批判者の意図する「科学」の意味を、理解できてなかったから。


批判批判者から見た場合の、「科学」と「ニセ科学」の位置づけ。
「科学」は共通認識の位置になく、科学者の意見にとどまってる。また、ニセ科学も(科学者から見て科学を装っているように見えようと見えまいと関係なく)、科学と同じくひとつの意見の位置にある。


批判批判者は「ニセ科学批判」を、科学者が、科学でない人らに「お前らは科学だ」とレッテルを貼って、意味もなく非難する行動である、と見なしてる。集団と集団のケンカ。
批判批判者自身は、「科学」とも「ニセ科学」とも関係がないつもりでいる。


「科学」にも「ニセ科学」にも関係がない、外野のつもりの批判批判者にしてみれば、ニセ科学を批判せねばならん義理はない。

科学がどうなろうと、社会にも自分の生活にも影響は無いだろうと思ってる人に向かって、「あなたがやってみてくださいよ」と返答したところで、会話にならん。

視点を変えて、ニセ科学批判側からみてみる。

*1

ニセ科学批判者からニセ科学を見ると、ニセ科学は明らかに間違った事実や法則を科学的事実と称して、他人に賛同を要求したり、既存の科学を否定したりする。
ニセ科学批判はどんなんかというと…


ニセ科学は想像上の物語なのだから、物語は物語だと自称しろ、科学とかいうな、とツッコミ入れること*2


ニセ科学の問題は、共有の事実認識に、「科学でないのに科学を装った粗悪品」が混じってしまうこと。
ニセ科学批判側の常識感覚では、ニセ科学は職業科学者だけに限らず、一般市民を含めた全員に迷惑をかけている、ように見えてる。
ニセ科学批判者は、ニセ科学の問題を、自分だけでなく、他人にとっても迷惑な問題だろうと見なしがちだ*3。そして、ニセ科学に迷惑する人には、批判批判者もふくまれている


批判者は、批判の仕方を批判されたときに、批判批判者に対してニセ科学批判をするように求めてしまう。批判批判者にとってもニセ科学は困る問題だろう、と考えてしまうから。
ところが批判批判者は、科学で主張をしている人が困るのは分かるが、科学と関係ない自分がニセ科学批判をする義理はない、と考えている。

結論。
批判批判者に「批判の仕方批判」をされたとき、批判の仕方を批判されているものだと受け取り、「あなたが上手に批判してみてください」と返答する批判者は、批判批判者がどんな人間なのかの理解が足りん。

*1:モンスターボールみたい。

*2:「まじめに科学研究するっていうならやればいいけど、それなら遠慮なく否定するよ。否定されたくないなら、物語だって認めないとダメだよ」とも言い換え可。

*3:批判者は、批判批判者も、科学を共通の事実認識と認めているものだと考えてしまう。

批判批判者が「批判者(科学主義者)の視野は狭い」と見なす理由

ニセ科学批判者は、科学以外の概念が世間に存在してる、ということを知らないのだろう」と見なしてるから。科学でないものすら科学の仲間だと勘違いしてる、と見なしてる。

別パターンだと、

科学が科学以外の主観よりも優れているものだと自惚れてる、ように見えてるから。主観事実の等価値原則に違反してる。




明日につづく。
このモデル作ってる理由とか体験談とかは明後日のを。
web拍手 by FC2説明