批判批判者を示した図の特色

主観事実の社会的等価値原則

すべての情報は主観事実の一種である。これら主観事実は、社会のなかで等しい価値があるものとして扱われる……という原則。「科学的に正しい事実」も、主観事実の一つ。「みんなの主観は平等です」とも言い換えが可。図でいえば、たくさんある赤いマルは、それぞれが全て社会の中で存在価値を認められる、という意味*1
実際に個別の批判批判者がこの原則を守ってるのではなく、批判批判者の主張を理解するとき、主観事実の社会的等価値原則を意識すると理解しやすくなるよ、というもの*2
「社会的」とつくのは、赤い「科学」の領域の内側では、個別の各種科学について、価値の優劣を決めることができるから。科学者の仲間内でなら優劣をつけられるが、仲間内から外に出たら優劣なんて無いぞ、ということ*3

主観と客観の情報を変換する

批判批判者は客観事実の情報でも、主観事実として扱ってしまう。意識せずに。
批判批判者は赤い色の色眼鏡を通して世の中を見ていて、何でも赤く見えちゃってる*4

ルール作成能力の欠如

他人との合意を、具体的な内容で作れない*5
そもそも、他人と意見を一致させようとする意思がない。
「事実と見なす情報」についても例外でなく、他人の事実認識と自分の事実認識とを一致させる必要を感じていない

*1:批判批判をやらかす人が主張する「社会では価値観が尊重されるべきだ」は、これと同じもの。

*2:批判批判者は建前上は平等を言ってても、自分の主観を客観事実と同等扱いし、他人の主観は見下すので。

*3:逆にいうと、ホメオパシーを「西洋の医学と科学の一種」と見なしてる批判批判者なら、科学によるホメ批判を妥当と見なしたりするはず。

*4:批判者の図の緑色を赤く塗りなおせば、批判批判者の図と同じになる。

*5:「態度の良し悪し」でなら他人と合意できる。「理解できないからって他人にとって大事なものを否定する人は態度が悪い」など。でも「みんなにとって大事なものは何か」の合意は作れない。