「あなたが批判してください」と返答するのは理解が足りないから
私自身が「あなたがやってみてくださいよ」と返答してしまったのは、批判批判者の意図する「科学」の意味を、理解できてなかったから。
批判批判者から見た場合の、「科学」と「ニセ科学」の位置づけ。
「科学」は共通認識の位置になく、科学者の意見にとどまってる。また、ニセ科学も(科学者から見て科学を装っているように見えようと見えまいと関係なく)、科学と同じくひとつの意見の位置にある。
批判批判者は「ニセ科学批判」を、科学者が、科学でない人らに「お前らは科学だ」とレッテルを貼って、意味もなく非難する行動である、と見なしてる。集団と集団のケンカ。
批判批判者自身は、「科学」とも「ニセ科学」とも関係がないつもりでいる。
「科学」にも「ニセ科学」にも関係がない、外野のつもりの批判批判者にしてみれば、ニセ科学を批判せねばならん義理はない。
科学がどうなろうと、社会にも自分の生活にも影響は無いだろうと思ってる人に向かって、「あなたがやってみてくださいよ」と返答したところで、会話にならん。
視点を変えて、ニセ科学批判側からみてみる。
ニセ科学批判者からニセ科学を見ると、ニセ科学は明らかに間違った事実や法則を科学的事実と称して、他人に賛同を要求したり、既存の科学を否定したりする。
ニセ科学批判はどんなんかというと…
ニセ科学は想像上の物語なのだから、物語は物語だと自称しろ、科学とかいうな、とツッコミ入れること*2。
ニセ科学の問題は、共有の事実認識に、「科学でないのに科学を装った粗悪品」が混じってしまうこと。
ニセ科学批判側の常識感覚では、ニセ科学は職業科学者だけに限らず、一般市民を含めた全員に迷惑をかけている、ように見えてる。
ニセ科学批判者は、ニセ科学の問題を、自分だけでなく、他人にとっても迷惑な問題だろうと見なしがちだ*3。そして、ニセ科学に迷惑する人には、批判批判者もふくまれている。
批判者は、批判の仕方を批判されたときに、批判批判者に対してニセ科学批判をするように求めてしまう。批判批判者にとってもニセ科学は困る問題だろう、と考えてしまうから。
ところが批判批判者は、科学で主張をしている人が困るのは分かるが、科学と関係ない自分がニセ科学批判をする義理はない、と考えている。
結論。
批判批判者に「批判の仕方批判」をされたとき、批判の仕方を批判されているものだと受け取り、「あなたが上手に批判してみてください」と返答する批判者は、批判批判者がどんな人間なのかの理解が足りん。