なぜ荒れるのか

「1/2000の確率で死亡する可能性を実行して、個人の信条を貫こうとした人の罪を問うような社会であってはならない」という大原則があるから。
「1/2000の危険」それぞれは、火山研究に懸けて命を落とした人も該当するし、避難命令に逆らって財産を守ろうとした人も該当する。誰のどんな望みでも、全て等しく該当している。なぜならこれらの望みは個人の感情であって、他人が価値判断できないから。

「1/2000の危険」は今回の場合、「赤ん坊が死ぬ」危険だ。人が死ぬ危険に何を言ってんだと思うのが普通だが、火山研究に懸けた人だって死んだことは同じ。その内容の価値は比較できない。危険回避のコストも、ホメの価値と火山研究の価値の比較も一切の関係がない。繰り返すが、具体的な内容は関係がない


なんとしてでも、「1/2000の死の可能性を覚悟した人生の選択」をする権利を守らねばならない。そのためには、世の中に多数存在する、他の「1/2000以上の死の確率があるが、社会的に許容されている選択肢」を提示すればよい。
この結果、ビタミンKとは関係ない火山の話ばかり続き、関係ない話ばかり繰り返して、論点をすりかえているように見えてくる。そして、「1/2000の死の可能性を選択した人の人生を守る」ために、「他にも危険な選択はいくらでもあるじゃないか。どうして、たった一人の助産師だけが断罪されなきゃならないんだ」と、20000人のうち10人の赤ん坊が亡くなっても大した問題ではないかのような言い回しになる。