「たとえ話」ではない

ビタミンKの助産師を擁護するために災害の例を持ち出して説明している、のではない、のだと思う。
地震やその他の「1/2000の自由意志すべて」に、社会的な制裁が与えられるような世の中が許せない、ということだと思う。はっきり言えば、私は先生は、助産師や親個人がどうなろうと、どうでもいいと思っているのだと想像してる。
「たとえ話が下手」なのではない。「同じ話だと思っている」のだろうと思う。