岩波新書『疑似科学入門』池内了--感想というよりイライラの吐き出し


本棚の整理の続き、で読んでた。『疑似科学入門』は放置していて……さっきようやく目ぇ通した。

読んでてとにかくイライラした。どう控え目に感想を書いても、すげぇ書き方が悪いくらいしか言えんですこれ。700円返せ。

どこにイライラしたのか書き始めるとキリがないし、そもそもなんていうか……いちばんまともな文章は「あとがき」だったと思うのだけれど……「あとがき」に"本書を読まれた諸兄姉の忌憚のないご批判を期待している"とあるけれど、これ一般読者の感想なんてどうでもいいんじゃないかって気もする。

いちばん不愉快だったところ含めて、二点、気晴らしに書き散らかし。書評じゃないどころか感想でもないです。……いや、書けば区切りがついて、この本を処分できるかなと。

めんどくさい迷惑発言

技術による道徳の代行
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心の問題として親子の対話や日常生活の中で道徳を自然と学ぶのではなく、技術の力によって見かけ上道徳を守っている状態とする(ときには強要する)ようになったことである。
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トイレ使用後に流れる洗浄水、自動的に水の止まる蛇口、人を察知すれば点灯する照明、携帯電話を使えなくする音楽ホール、自動消火するガスコンロなど
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p96-p97

  1. ニセ科学を批判する人たちの文献にいろいろ目を通す
  2. ニセ科学を信奉する人たちを想像して、「世間の〇〇な風潮」が原因ではないかと考える
  3. 「これとかこれとか、いろんな事例があるじゃないか」

↑こういうパターンの批判が大っ嫌いなのですよ私は個人的に。

「世間の良くない風潮」に原因を求めだす人は要注意で、「こういう風潮があるんじゃないか」という目線でいろいろ見だすと、世間のいろんなものが「風潮」の事例に見えてくる。これが思い込みと他人への失礼な発言になりやすいし、そして、関係ない人の仕事まで貶めやすい

人感センサー照明について言うんなら、おそらく健常者がトイレの照明にセンサー電球を使う例くらいしか考えておられないんだろうけれども。使い方のごく一部を強調して強引に「道徳を見かけ上守らせる技術」なんていう例に扱うのは失礼。
夜に何度もトイレに行く人ならどうなのか。道徳だけでどうにもならんでしょう。他にも例えば、外玄関にセンサ照明を設置する場合はどうだろうか。お客さんが勝手に玄関の照明を点けるわけにはいかないからセンサで反応させるんだ。台所にセンサ照明をつければ、両手が塞がっていても点けっぱなしにせずその場を離れることができるし。住宅の裏手の人目が少ない場所につけとけば、防犯にもなる。


人感センサー照明なんてものはですね、体調のよろしくない人のために、家族が設置して、維持管理してあげるもんです。商用電源照明なら電気工事が要る場合も多いし、電池式なら半年に一度は交換しなきゃならない。
それをどう考えたら「道徳を代行する技術」と呼べるのか。物事の一面ばっかり見すぎだというか、商品のカタログすら見てないとしか思えない。


じゃあセンサーライトの例を削除すればいいよね、「技術で道徳を代行する風潮がある」のは通るよね、っていえば、そうじゃない。その風潮とやらの事実の検証はできてないのに、なのに根っこの「〇〇な風潮」とやらが正しいものだという話になっちゃうのはおかしい、ということなのですよ。



「正しく疑う心」(p178)

正しく疑うべきである、自分で考えるべきである、と言って否定できる人はいないけれど。逆に本を買ってくれた人に向かって「お前は素人だから考えたって無駄だ」と言える人もいない。

「メディア・バイアス」では、食品の情報はインターネットでも収集できることを書いたり、本の内容も勉強して調べなきゃ書けないことが書いてある。「超常現象をなぜ信じるのか」では人間の認知エラーについて、これもまた調べなきゃ書けないことが書いてある。だからどっちの本でも「自分で考えましょう、調べましょう」って書ける。

最初に「すげぇ書き方が悪い」と言ったのはこれで、「疑似科学入門」を読んでも何も得た気分にならんです。一種二種三種の分類、というのもあまりピンとこない。個別の事例についての議論が浅いまま、話を広げすぎてるようにしか思えなかった。
書くべきはそこじゃなくて。たとえばp62に、相ま系の学生の意見を修正できた、なんてあっさり書いてあったけれど、こういう例があるのなら、もっと具体的に複数書いていただきたかった。ありがちな本になってしまったとしても。

私が思う「良い書き方」っていうのは、たとえば「この本がもし、高校生・大学一年生が書いた本だとしたら、書き方として適切かどうか、論として成立してるかどうか」ってところです。信用と実績を根拠にしないこと。

新書の後半はもう、このまま読まずに捨てようかと何度も思った。でも、「あとがき」はだいぶ印象が違ってはいて、そんなに不快感があるわけではないです。とはいえ、あとがきを読んでも得るものはないことに違いはないし、「風潮」を持ち出すことは良くないってことに変わりはありゃしませんが。

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ちなみに私個人の考え方は、「素人が10年かけて真面目に苦しんで考えても、入門書の1ページにも満たない結果すらも出せない」「他人の突飛な科学的主張に入れ込んであげなければならない責任はない」とかです。トンデモな人に真面目に相手するとこっちの人生を死ぬまで食いつぶされる。かといって、自分で考えたところで人生さらに無駄にするだけ。