光文社新書-わかったつもり-西林 克彦--おもしろかった。


https://www.amazon.co.jp/dp/4334033229/
おもしろかった。
文章を読んで、内容を理解した、と思っても、その理解には段階がある。間違った読みと正しい読みというだけでなく、間違ってはいないが浅い読み、より良い読み、がある。
前提となる知識の有無や、文脈(文章を読むうえでの設定や状況、前説みたいなもん)によって、文章の理解は変わってくる。人はしばしば、一読して浅いレベルで理解したときに、それ以上の深い読解をしようとせず、安定してしまいやすい。そして本人には自覚がない。そういうお話、かな。

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http://d.hatena.ne.jp/Narr/20180120
直前に読んだのが「疑似科学入門」だから、疑似科学入門やニセ科学批判で不愉快になったこととか。そのあたりと関係づけて読んでしまってた。本の内容とはだいぶズレるけれども、文章読解での「わかったつもり」と似たような問題が、文章でなくともしばしばあるんだと思う。

先日の「疑似科学入門」で噛みついた、「人感センサー照明は『道徳を代行する技術』の一例である」のところ。ここについても、「わかったつもり」があるんだろうと思う。
『わかったつもり』によると、文章を読んだときに矛盾や疑問があると、それが契機となって読解が進展する、とか。矛盾も疑問も感じることができない安定状態にあると、それ以上の読解をしようとしない。

家電製品の使い方、製品が目的とするはたらきについて、ある一つの用途を理解してしまうと、それ以上の他の使い方について探そうとしなくなる。少しでも調べてみれば、センサ照明の使い方の一部だけとりあげてどうこう言うのは強引だと分かるはずなのだけど、それはしようとしない。こういうのは「良くない安定状態」にあるとも言えるんじゃないだろうか。




照明の商品ひとつについても、いろんな「安定状態」が段階的にあるんだと思う。理解が浅いほうから挙げてみると。

  1. 商品の存在を知っているだけの一般消費者(使い方の一部だけを知っているお客さん)
  2. 商品の広告を読み込んだ一般消費者(想定された使い方をほぼ知っているお客さん)
  3. 商品の広告と仕様を読み込んだ商品販売や設置の業者(使い方と、技術的な中身もそれなりに知っている業者さん)
  4. 商品の広告と仕様を書いた製造業者(秘密も含めて商品をよく知っているひと)
  5. 商品の仕様を書いた製造業者のエンジニア、とか(秘密を作ったひと)

お客さんの感覚だと、一部の使い方を知った程度で、それ以上は知ろうとはしないし、電気電子物理化学機械に詳しくなくても、それが悪いことだとは思わないはずです。もうちょっと詳しいお客さんでもそれは同じことで、カタログの隅々まで知ってて類似商品の違いを知ってる、くらいでしかない。
お店の店員さんだと、何も知らないわけにはいかない。照明器具をお客さんに売るのなら、設置できる場所できない場所、設置するために必要な電気工事の技術だとか、それなりには必要になってくる。でも照明器具そのものを開発する必要はない。





疑似科学入門」で私が挙げたような、私が嫌いな「関係ない人まで巻き込んだ迷惑行為」になりがちなのは何故かって考えると、根本的に批判対象について無関心であることが大きいと思う。
科学については当然、興味関心がある。必要ないことまでよく調べる。しかし、トンデモさんらの主張内容そのものについては、手間暇かけて知りたいと思ってるわけではない。当然、理解もある程度の段階まででやめるでしょう普通は。それでも批判対象がトンデモさんらそのものならば、調べた範囲内で言ってるぶんには問題はないんだろう。
しかし、そこから「世間の良くない風潮」がどうたらこうたらと駄文を書き始めると、批判対象がトンデモから外れているのに、批判するなら批判対象について調べなきゃならないという常識を忘れてしまうんじゃないんだろうか。「風潮論」の根拠が得られれば満足だし、「矛盾も疑問もない」から。


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↓以下の件については吐き出したいから書くけれど、もし何か言いたいことがあっても、何も言わんでくれますかね。これはお願いとして。またいろいろ言われるのに耐えられそうにないので。
具体的に言うと「ぬかみそフォント」の公開と更新作業、やめます。ものづくりの助けに少しでもなればというのが動機のひとつなのに、以下みたいな主張をまた見せられたり、「勘違い人間」だとか「人間として程度が低い」とか、また言われると、モチベーションなくなるから。……バグ修正しなきゃなんないんだけど……。









だいぶ前になるけど、「フォントとは個性や特徴がないものである。世間には『良くない手作り礼讃の風潮』がある。フォントにはない、温かみのある手書き文字をありがたがるのがその例だ」なんて言い切る人がいた。こういうのは何も知らん人のよくある思い込みでしかないから普段は無視できるんだけど、私はその時、いろいろ思うことがあって、「何も知らんお客さん感覚の人らはそうだろうなぁ」とは、流せなかったのだ。特に、こんなおかしなことを言いきっても、誰も異論をはさまず納得してる人らの、恐ろしい空気が。

あんまり詳細を今から書くことはできんけれど、それと、その後のことで、私は折れた、っつうか、酷過ぎて理解不能になってた。
例外的に、メールで相談した(いろいろ詳しい)人は私の意見とほぼ同じだったし、理解もしてくれたんで、かろうじて私も自信を保てたのだけれど。でも大勢は散々だった。他の人にも、私のことを勘違い人間だと断定されたうえに、「調べればわかるから調べてくれ」って言っても、調べるつもりは無いと断言までされたので。それなりに信用してた人に。

研究とか考察とか言ってる人らでも、批判対象の入門書すら、自分からは読んでみようとはしないし、いちど主張をすると、それ以上の調査はしようとせんのです。そうなってしまうことの原因の一つは、「これ以上の理解をする必要性を感じられない安定状態」に人間がはまり込んで安定すると、その安定を自分から壊そうとする人は、そうそういない、ってことなんだと思う。

なんにしても、自信満々で「クリティカルシンキングやってるつもりの集団」って、おっかない。世間的な信用があるから、なおさらに。オカルト連中に言われるよりよっぽど困る。

http://d.hatena.ne.jp/Narr/20150612
「MSゴシックはダサい」のときも、このときのことを思い出してしまってて。ズレたフルボッコが見てらんなかった。あの「MSゴシックがダサいのはそういう理由だったのかー」というような、MSゴシックがダサいのは事実で常識だかなんか知りませんが、そんなこと元記事に書いてないのに、なんでそんなこと言わなきゃならないのか目的意識が皆無な、ああいう空気が、我慢できなかった。
とはいえ私のブログに反応があるとも思ってなくて、びっくりもしたけど。