スマブラが嫌いになったんだなと実感してる話

こっちで書いた話とかのこと。
私はいったい、誰に向けて書いてるんだろか。誰が読むんだろう。誰が必要としてるんだろう。誰が価値を少しでも認めるんだろう。



なんか、桜井さん関係の話題を聞いたりするたびに、やっぱり自分がスマブラを嫌いになってるって実感してる。理由もなくイヤな気分になってしまうから。
原因はここのあたりと、これに関係したイヤな経験や、創作分野の批判批判者に苦しめられ続けてること、にあるのは確かで…自分で原因の所在が分かってるだけいいんだろうなぁ。もっとも、こういうのでさえ、批判批判者にしてみれば「間違いを認められない、人間としてどうしようもない態度」ということらしいんだけど。


私だって、N64スマブラは発売してすぐに、けっこう楽しみにして買った。ゲームキューブスマブラも、普通に買った。私はスマブラに限らず、対戦格闘アクションが下手で、練習してもコンピュータ相手に最後まで行けないし、あんまり最後まで頑張ろうって気にもなれない。そこを割り切って下手なりに遊べば、楽しんでたんだけど……。
今じゃ新作のスマブラが出るってだけで、なんか、ゲームに関係した社会のなかでは、批判批判者の常識が勝ったみたいに思えちゃう。スマブラを、ゲーム社会の良識が認めた。よって、スマブラを批判する人は黙ってゲームの世界から消えるのが礼儀だ。みたいな。


私にとってスマブラが面白いかどうか、好きか嫌いか、なんてことは、私にとってもあんまり重要でない。私は、ゲームのシリーズがこれからどうなるかはとても大事だ、これから良くなっていってほしいな、なんて思ってる。それが社会のなかでのゲームの責任だ、ってことだと思うので。


スマブラだって、キャラクターを大事にするだとか関係者やファンに気を遣うことはやっているのに、それをファンの人らが理解しようとしてない、ということになってしまう。批判批判者の人が言うことが正しいのなら、そうなる。
「多数派のファンの一人であるボクが違和感を感じないならいいんだ。だからどんなキャラクターが何をしようと構わないんだ。でもボクが違和感を感じて、みんなが同じ意見ならダメだ。文句がある人は言いたいことは言っていいが、みんなが好きなゲームを邪魔するなら消えろ、それが大人の礼儀だ」なんだから。




「良くなろうとする態度」が大事なんだと思う。言い換えたら、「ひとの話を聞ける態度」が大事。そこを保つように努力していられれば、そんなにゲームが世間に嫌われることもないんじゃないんだろうか。
ゲームソフトを軸にして作られてる人々のコミュニケーションが、外に向かって開かれているなら良いんだろうな、と思う。
だけど現実、スマブラは当初、「人気キャラクターどうしが戦うのはいかがなものか」といった意見もあったらしいなかで、今は認められて。ゲーム社会のなかではスマブラが正しい、文句があるならお前はゲーム社会からいなくなればいいだろう、とか言われると……。ゲームの社会を維持していくと、どんどんゲーム社会の外と壁を作っていくんじゃないのか、なんて感じちゃう。


いや、そうではなくて。批判批判者に苦しめられ続けてる、ということだけでなくて、その苦しみを批判批判者でない人らにもわかってもらえない、のが大きいんだろうか。そっちのほうが大きいかもなぁ……。
なんか、こうやって書いても、重要性を全く認めてもらえないどころか、「そんなくだらないことを考えるのはやめたほうがいいよ」としか言われないので。



「ゲームの中の人たち」から私は、「嫌いなら出てゆけ」って敵視されて。
「ゲームの外の人たち」から私は、「ゲームマニアは非常識だ」って敵視されて。
「ゲームの中でも外でもない人たち」から私は、「そんなどうでもいいことを考えるのはやめなさい。批判批判者の言うことなんて無視していい(が、私の言うことは受け入れなさい)。これは親切で言ってあげているんだよ」って。

なんか、私は誰にも相手にされてない気がするし、みんな誰も他人を相手にしてない気がする。



早朝になんとなく、で書いた。煮詰めて書こうとすると、煮詰まりすぎてカラカラになっちゃうし。ときどきこうやって書かんと、張り詰めすぎて切れちゃう。


蛇足だけど。「ゲームがイヤなら黙って去れ」って言い方、私にはどうしても、「ホメオパシーを肯定的に報道する報道機関が気に入らないなら、黙って読者は離れなさい」というのと、同じだと思えてなんない。