たとえばどういうことか

「(赤ちゃんにビタミンKを投与するかしないか)選択は待ったなしです」という発言はですね。
普通の人のように、「赤ちゃんの健康状態をよく調べて、赤ちゃんを元気にするにはどうしたらいいか素早く判断しなければならない」、ということではないです。それとは本質的に違う。
アドベンチャーゲームみたいに、「人工物は嫌いだけど投与する」「1/2000の危険を覚悟して投与しない」の選択肢のどちらか一つを、親が自由意志で選択する、という状況のこと。
選択している権利者は個人である親の意思赤ちゃんの健康状態や社会の一般常識ではない。
客観的なデータを集め、共通認識の道徳で検討して、ビタミンKを与えるべきか与えないべきか考えよう、という話はしてない。社会で共有された道徳としてどうすべきだと思うかを問題としてるんじゃない。
問題とされてたのは、あくまで個人の自由意志による選択。それにニセ科学批判者がぎゃあぎゃあ騒いだから、個人の自由意志の選択権に、社会が罪を問うたように見えた。
あくまで選択の主体、選択する権利は個人の自由意志にあり、その決断に他人が干渉することも、社会が個人の価値判断に優劣を付けることも許されない。