自己責任主義との関係

さらに余談。分かりやすさ70%オフの大安売り。

自己責任主義と同じ

ここで取り上げてる問題は、「強い自己責任主義」と同じだろう、と私は思ってる。
「自己責任主義」の核心は、自己責任主義ではないです。核心は「自己選択主義」。
「社会正義は、公共の場に提示された個人個人のプライベート情報を、まるで聖域のように扱わねばならない」というのが、自己責任主義の実態。
「自己責任主義」は、核心にある「自己」を傷つけないためにある。失敗の責任の押し付け合いを回避するための、処世術。議論で負けないために作った、見せ掛けのこけおどし。「大人の責任を、このオレは果たしてるのだ」という見栄。それが自己責任主義
「自己選択」を社会に認めさせるための「自己責任論」なわけで、自己責任そのものが大切なわけではない*1

自己責任主義者たちの情報の共有と共感

「自己選択」をするためには、選択肢が必要なわけです。
しかし、商品カタログがない問題*2に直面すると、非専門家には選択肢そのものが用意できない。どうしていいのか分からない。
そんなとき、「欲しい専門情報(商品)を、非専門家である一般の個人個人が、自己選択可能な権利を付与した状態で提供してくれる専門家」が現れれば、支持されるんだと思う。

「『自己』のままでいる社会人」と「『個人』であろうとする社会人」

批判批判者の図で、赤いまんまで社会に出てる人のことを、私は、「私らしい大人」「幼稚さを自分らしさと勘違いしたままで大人になろうとしてる人」「『自分らしさ』の価値を他人が認めてくれて当然だと勘違いしてる人」って名付けてる*3
緑と赤とが区別されている批判者の図で、「自己」の外側に緑色を着てる人は、「社会的な個人」。
ここでの「個人」や「自己」は私の命名じゃなくて、新書本からパクった。つか、ナナメ読みしてたら、似た題材のような気がしたので、言葉だけ使って、意味はNarrが勝手に決めた。

*1:彼らが責任をすすんでとりたがってるわけがないでしょ。

*2:災害や病気。

*3:「私らしい大人」はNarrの命名じゃない。実際、そういうことを言って、私に説教かましてきた人がいたのだ。その人の日本語に比べりゃ、某火山の教授の発言なんて、めっちゃくっちゃ分かりやすいぞ。